古くから東京の中心地として知られる日本橋

栄える日本橋

全国に通じる五街道の起点として知られる「日本橋」。その歴史は古く、1603年の江戸幕府の開府とともに創設されたといわれています。
京から江戸、そして江戸から京へと、多くの人が行き交った日本橋エリアには、幕府の御用を務める商人や職人が自然と集まるようになりました。

江戸城にも近く、城下町として栄えた日本橋周辺には、多くの商店が立ち並び、芝居小屋や料理やなども軒を連ねていたようです。

そのため、日本橋エリアは、商売の街としてはもちろん、食や娯楽など、江戸時代を代表するさまざまな文化が生みだされる活気のあるエリアとなり、東京の中心地として栄えていきました。

 

印刷文化と金融業の発展

江戸時代を代表する文化のひとつに、書籍や絵草子、浮世絵といった印刷物があげられます。
今でこそ、印刷物というのはあたりまえのようにあふれかえっていますが、当時は印刷自体が珍しく、印刷文化のレベルアップ自体が、江戸時代の価値ある文化を陰で支えた技術といえるのではないでしょうか。

日本橋エリアでは、こうした印刷物の生産を手掛ける書物問屋の「須原屋」や、浄瑠璃本の版元である「鶴屋喜右衛門」などが活躍し、印刷文化のレベルアップに貢献しました。

現在の日本橋エリアにはさまざまな企業が集まっていますが、紙問屋や印刷関連の企業などがやや多めに存在しているのは、江戸時代の印刷文化の発展が影響しているためといえます。

また、日本橋エリアで忘れてはならないのは、金融関連においても中心的な役割を果たしているということです。

いまでも日本橋の賃貸事務所には数多くの金融関連企業が集まっていますが、そもそもは日本橋エリアが日本の銀行発祥の地であり、ここを中心に金融業が栄えていったと考えられるためです。

日本の資本主義の父と呼ばれ明治時代に第一国立銀行や東京証券取引所といった企業・施設の設立にかかわった渋沢栄一も、日本橋界隈に私邸を構えており、日本橋エリアは金融の中心としても発展していったのです。